生命の素材:二酸化炭素

Posted on 10月 28, 2009 - Filed Under 地球について | Leave a Comment

前回の投稿で、人類のような知的生命体は、地球環境で枯渇する二酸化炭素を補充しようという欲求の結果プログラミングされたDNAだと言う仮説を立てた。地球が生命のあふれる環境であり続けるためには、二酸化炭素を大気に補充する行動を起こす存在が必要不可欠だったのである。 ここでDNAをプログラミングしている存在を暗に仮定しているが、それは理知的な存在でもなんでもなく、ただ生き続けよう、勢力を拡大しようとすることを目的とした欲望の巨大な塊として見ている。しかしながら、それは過去数十億年にわたるであろう進化の系譜を司り、そこから経験を得て膨大な情報を蓄えている。本能的情報体のようなものだとイメージしている。 知的生命体の存在意義を二酸化炭素補充のためというのに限定することは、実にバカバカしいことだ。私たちは知的生命体の持つもっとすばらしい面を自覚している。しかし、繰り返しになるがそれは酸素呼吸が活発な動きをする多細胞生物を生み出した過程のように、後付で得られた副産物なのかもしれない。人間の持つ常識や経験と同じ規模ものを、地球の本能的情報体が持っているわけではないことを再度確認したい。 いずれにせよ、この母なる本能的情報体は人類の知性の持つメリットを、さらなる生命圏拡大の道具として認識していることは間違いない。つまり、当初は二酸化炭素の大気補充のためにと火を好むような知的生命体を生み出したが、知性の持つさらなる飛躍の可能性を発見し、今度はこの副産物を最大限利用することが目的となっていきているということだ。すなわち、生命体の宇宙への進出である。 それと同時に、ここに来てこの母なる存在に別の懸念が生じてきているのではないかというのを察することができる。人類が、二酸化炭素を大気に増加させ地球生命の活性化を果すと言う本来の目的を離れて、宇宙へ飛び去ってしまい、地球環境のことを振り返らなくなるのではないかという懸念だ。今の人類は二酸化炭素を大気に補充することを自らの義務と定義していないから、当然の懸念だろう。 地球の本能的情報体のこの懸念が人類の本能に影響を与え、無意識的集団行動にも大きく反映されていると考えられる。人類の宇宙進出と同時期に高まってきたエコロジーという思想である。このエコロジーというキーワードには大きな感情的うねりを感じ取ることができる。 しかし、どういうわけだろうか、エコロジーというすばらしい理念はいつしかCO2削減と同義とされてしまった。以上のような推論に基づけば、全く逆の自己定義を人類にもたらしてしまっていることになる。この部分の180度の意識転換が是非とも必要になってくるということがわかってくる。 どういうことなんだろう? これは地球の本能的情報体の大きな判断ミスだったのだろうか? 決してそうとは言い切れない。なぜなら、正論を単調に突きつけても人類の形成する社会はそれを真剣に受け止めないことを、地球の本能的情報体は知っているからだ。とりあえずは、エコロジーという概念、それとCO2という物質が結びついていると言うことを人類全体に知らしめることが最初のステップであり、それは石油文明否定という脅迫とともにすでに達成されている。見事だというほかない。 そしてこれは予測だが、CO2削減というテーマは更なる本能的強制力を持って人類を拘束していくのではないだろうか。最終的に達成したい目標があるからだ。人類が二酸化炭素の地球生命圏へ与える寄与を詳細に把握し、その恒久的な供給を使命として確立する。この目標が達成されるまで、人類の困った自己閉塞状況はモンスター環境主義者とともに続いていくだろうと推測できる。 ということで、今回のブログのテーマ、生命の素材としての二酸化炭素と、その理想とする大気濃度についてまとめようと思う。地球の将来を左右する重要なテーマだ! ・・・続く

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